洋楽ジャズCD 通販 価格比較

 >  >  >  > 洋楽ジャズCD

キーワード検索

関連特集

梶浦由記が語る『劇場版 SAO OS』の音楽

梶浦由記が語る『劇場版 SAO OS』の音楽

今回のSAO劇場版の音楽制作について作曲家の梶浦由記さんにお話を伺いました!(2017年2月21日掲載)

【アイテムナビ】ジブリグッズ

【アイテムナビ】ジブリグッズ

ジブリシリーズのキャラクターグッズをご紹介します!(2016年4月1日掲載)

ジャズ名曲年鑑!  - ジャズ史と一緒に学ぶ、絶対ハズせない名盤集 -

ようこそ、価格.com 洋楽ジャズCDカテゴリへ。このページを訪れたあなたは、ジャズに興味がおありのはず。
でも、何から聴けばいいのか分からない。なんとなく敷居が高く感じる。そう感じてはいませんか? そんな時は、まず「ジャズ」という音楽の歩んだ物語を、ごく簡単に振り返ってみましょう。ジャズ史を支えた偉人たちと、その作品も一緒にご紹介します。

1897〜1930 ジャズ誕生と、その黎明(れいめい)期

歓楽街の片隅、遊戯場のBGMとして誕生 - 1897年、アメリカ東岸の小さな港町、ニューオリンズ。ここにオープンした歓楽街「ストーリーヴィル」が、ジャズの故郷です。当時の歓楽街ではミュージシャンの需要が多く、近辺の植民地で働いていたアフリカ系移民たちが楽器を手に取り、即興演奏を始めます。ゴスペルや軍歌、賛美歌などが即興演奏によってぶつかり、交じりあったその音楽は「ニューオリンズ音楽」と呼ばれました。まだジャズという言葉は生まれていませんが、一般にこれがジャズの誕生と言われています。

歓楽街の片隅、遊戯場のBGMとして誕生

1897年、アメリカ東岸の小さな港町、ニューオリンズ。
ここにオープンした歓楽街「ストーリーヴィル」が、ジャズの故郷です。
当時の歓楽街ではミュージシャンの需要が多く、近辺の植民地で働いていたアフリカ系移民たちが楽器を手に取り、即興演奏を始めます。
ゴスペルや軍歌、賛美歌などが即興演奏によってぶつかり、交じりあったその音楽は「ニューオリンズ音楽」と呼ばれました。まだジャズという言葉は生まれていませんが、一般にこれがジャズの誕生と言われています。

新天地の乱暴な先客 - 1917年。海軍省の政策変更で、ストーリーヴィルは突如閉鎖されました。ミュージシャンは仕事を求めてシカゴやニューヨーク、カンザスシティなどに移りますが、当時これらの街は、闇酒場やダンスホールの経営によってギャングが勢力を強めている、とても危険な場所でした。しかしその環境は、ジャズメンにとって追い風となりました。ギャングたちが、経営する店のバックミュージックに、ジャズを選んだのです。恵まれた環境下で、ジャズの種は次々と開花していきました。

新天地の乱暴な先客

1917年。海軍省の政策変更で、ストーリーヴィルは突如閉鎖されました。
ミュージシャンは仕事を求めてシカゴやニューヨーク、カンザスシティなどに移りますが、当時これらの街は、闇酒場やダンスホールの経営によってギャングが勢力を強めている、とても危険な場所でした。
しかしその環境は、ジャズメンにとって追い風となりました。ギャングたちが、経営する店のバックミュージックに、ジャズを選んだのです。
恵まれた環境下で、ジャズの種は次々と開花していきました。

ルイ・アームストロング - ジャズ界の伝説、ジャズをポップスに昇華させた偉人

ルイ・アームストロング (1901〜1971)

ジャズ界の伝説、ジャズをポップスに昇華させた偉人

ニューオリンズの比較的貧しい居住区で生まれ育つ。
少年期、祭りで浮かれてピストルを発砲したため少年院に送られ、そこのブラスバンドでコルネット演奏を経験したのが楽器との出会い。 当初からジャズの特長のひとつであった「即興演奏」の部分を独自に拡大して演奏し、それをジャズの新しい定石に昇華させた。
その魅力的な笑顔から、「サッチモ(カバンのような大きな口)」という愛称でも知られる。
1923年のデビュー以降、71年に没するまで、数々の名盤を生み出した。

アイコン〜ベスト・オブ・ルイ・アームストロング[限定盤]

ルイ・アームストロングの名曲・名盤たち

バラ色の人生

バラ色の人生

エディット・ピアフが歌ったシャンソンの名曲を、ジャズの帝王がカバー。世界中で歌われている名盤です。

タウン・ホール・
コンサート

タウン・ホール・コンサート

彼が立ち上げたビッグバンド「ルイ・アームストロング・オールスターズ」。その記念すべき初コンサートを収録!

ハロー・ドーリー

ハロー・ドーリー

映画の主題歌に起用されたゴキゲンなナンバー。当時のヒットチャートで、あのビートルズを押さえて1位に!

この素晴らしき
世界

この素晴らしき世界

どんな賞賛の言葉も陳腐になってしまいそうな、まさに「不朽の名盤」。その耳で伝説の曲を確かめましょう。

サッチモ・シングス・ディズニー

サッチモ・シングス・ディズニー

ディズニーさえも認めるルイの才能! ジャズ界とアニメ界、2人のアイドルが織り成す夢のコラボです。

1935〜1944 スウィング、ビッグバンドスタイルの全盛期

酒場のBGMから、誰もが口ずさむ「スタンダード」へ - 1930年代後半になると、ジャズは次第に姿を変えていきました。はじめは数人規模のバンドが小さなスペースで演奏するのが主流でしたが、人数が増えてビッグバンド化し、コンサートホールなどに舞台を移したのです。この頃から、異なる音楽の寄せ集めでしかなかったジャズが、「スウィングジャズ」というひとつのジャンルを確立していきます。その曲は誰もが口ずさむ「スタンダード・ナンバー」となり、ミュージシャンはスターとなり、レコードは飛ぶように売れました。ジャズ黄金時代の始まりです。

酒場のBGMから、誰もが口ずさむ「スタンダード」へ

1930年代後半になると、ジャズは次第に姿を変えていきました。
はじめは数人規模のバンドが小さなスペースで演奏するのが主流でしたが、人数が増えてビッグバンド化し、コンサートホールなどに舞台を移したのです。 同時に、異なる音楽の寄せ集めでしかなかったジャズが、大人数編成による「スウィングジャズ」というジャンルを確立していきます。
誰もが口ずさむ「スタンダード・ナンバー」が多く誕生し、ミュージシャンは瞬く間にスターとなり、レコードも飛ぶように売れました。
ジャズ黄金時代の始まりです。

デューク・エリントン - 公爵の名に恥じぬ優雅さと、音楽への貪欲さを併せ持つ多作の作曲家

デューク・エリントン (1899〜1974)

公爵の名に恥じぬ優雅さと、音楽への貪欲さを併せ持つ多作の作曲家

ワシントンに生まれ、その生涯を通じ何百もの楽曲を残す。
1964年に日本公演を行った際、滞在中に新潟地震が発生したことを知るやいなや次のハワイ公演をキャンセルし、震災募金を募るためのコンサートを開催したのは有名な話。
彼の楽曲の多くは、後の音楽史に残る傑作として今も愛されている。
ちなみに「デューク(公爵)」は本名ではない。少年期から身だしなみに気を使い、立ち振るまいが優雅だったため、友人からつけられたニックネームである。

ベスト・オブ・デューク・エリントン

デューク・エリントンの名曲・名盤たち

A列車で行こう

A列車で行こう

エリントンの数多い作品の中でも、特に名盤と呼び声高いこの曲。軽快なスウィングで踊らせてくれます!

ハイ・ファイ・エリントン・アップタウン

ハイ・ファイ・エリントン・アップタウン

さまざまなテイストの曲を採用していながら、有名どころはしっかり押さえた、入門者向けのアルバム!

ニューオリンズ組曲

ニューオリンズ組曲

ジャズ生誕地の名を冠した、エリントン晩年の傑作。かの地へ敬意をこめ、あらゆる技法を盛り込みました。

極東組曲

極東組曲

アジアが題材のめずらしい組曲で、楽器も尺八などを使用。かなり入手しにくいので、見つけたら運命かも。

ザ・ポピュラー・デューク・エリントン

ザ・ポピュラー・デューク・エリントン

エリントンが比較的後期に残したアルバム。積み重ねてきた数多の作品の中から、本人が厳選して収録。

カウント・ベイシー (1904〜1984)

カウント・ベイシー - 不況を乗り越えジャズ界へ舞い戻った、不屈のピアニスト

ベスト! /カウント・ベイシー

不況を乗り越えジャズ界へ舞い戻った、不屈のピアニスト

ニュージャージー出身。母に習ったピアノを武器にジャズ界へ飛び込む。 第2次世界大戦後、不況により数々のビッグバンドが消滅した頃、ベイシーの楽団も一度は解散を余儀なくされたが、彼は翌年すぐにバンドを再結成、数々のスターを引き入れて最高峰のバンドを作り上げた。
シンプルなメロディと跳ねるようにリズミカルなスウィングにより、国際的にも最高のジャズメンという名声を得る。

ベニー・グッドマン (1909〜1986)

ベニー・グッドマン - 人種の垣根を越え、ジャズを「人類の音楽」にした英雄

レッツ・スイング!

人種の垣根を越え、ジャズを「人類の音楽」にした英雄

シカゴ生まれのロシア系ユダヤ人。クラリネットを自在に操る。 当時まだ人種差別が色濃かったアメリカで、白人と黒人の同居するバンドを作り、しかもそのバンドを成功に導いた偉人。 また、初めてホールでジャズ・コンサートを行った人物としても有名。 これまでダンスや酒の脇役として流れていたジャズから一転、「聴くために足を運び、金を払い、静かに座る」という新しいスタイルへと昇華した功績はあまりに大きい。

1944〜1965 革命の20年 -ビ・バップとその後継者たち-

「商業としてのジャズ」への反旗 - スウィングスタイルの台頭により、ジャズは大きく成長しましたが、同時にどんどん商業の流れに飲み込まれていきました。それに抵抗するかのように、ジャズの新たな形が数人の若者によって模索され始めます。その複雑なコード進行と不安定に揺れ動くリズムは「ビ・バップ」と呼ばれ、当時のジャズ界では異端児扱いされました。残念ながらビ・バップの隆盛した期間は非常に短いものでしたが、その数年間は、後のジャズに多大な影響を与えた重要な期間と言われています。

「商業としてのジャズ」への反旗

スウィングスタイルの台頭により、ジャズは大きく成長しましたが、同時にどんどん商業の流れに飲み込まれていきました。
それに抵抗するかのように、ジャズの新たな形が数人の若者によって模索され始めます。その複雑なコード進行と不安定に揺れ動くリズムは「ビ・バップ」と呼ばれ、当時のジャズ界では異端児扱いされました。
残念ながらビ・バップの隆盛した期間は非常に短いものでしたが、その数年間は、後のジャズに多大な影響を与えた重要な期間と言われています。

チャーリー・パーカー - 賞賛と非難の両方を受けながら、芸術としてのジャズを追求した求道者

チャーリー・パーカー (1920〜1955)

賞賛と非難の両方を受けながら、芸術としてのジャズを追求した求道者

アルトサックスの鬼才にして、モダン・ジャズの父。
複雑難解なコード進行、不安定なハーモニー、先の読めないリズムなど、それまでのスウィング・ジャズの真逆をいくような実験的な演奏を繰り返し、賛否の議論を巻き起こす。
その音楽性が象徴するかのように、自身も波乱の人生を送った。
しばしば「バード」という愛称でも呼ばれるが、「サックスの目まぐるしい展開が鳥のさえずりに例えられた」「アルバイト先でまかないのチキンを食べ過ぎた」など由来は諸説ある。

ヴェリー・ベスト・オブ・チャーリー・パーカー

チャーリー・パーカーの名曲・名盤たち

ナウズ・ザ・タイム

ナウズ・ザ・タイム

比較的初心者向けの1枚。今日に至るまで演奏され続けている、パーカーの代表曲が目白押し。

チャーリー・パーカー・オン・サヴォイ

チャーリー・パーカー・オン・サヴォイ

「ビ・バップ」という時代を詰め込んだような、濃厚な1枚です。録音状態の悪さはご愛嬌。

ストーリー・オン・ダイアル Vol.1

ストーリー・オン・ダイアル Vol.1

当時ビ・バップの聖地だったアメリカ西海岸で録音された1枚。ニューヨークで収録されたVol.2もあります。

バード・アンド・ディズ

バード・アンド・ディズ

録音環境の劣悪だったビ・バップ時代でも、比較的音質がよい1枚。セロニアス・モンクなどキャストも豪華。

スタジオ・クロニクル 1940-1948

スタジオ・クロニクル 1940-1948

なんと、パーカーが登場した楽曲をレーベルやバンドを選ばず時系列順に並べた1枚。マニア垂涎!

ビバップの意志 - 「ジャズ模索」の波が西海岸を席巻 - ビ・バップは、多くの人々に受け入れられたとは言えませんでした。しかし、ジャズを追求するその魂は、若者達の間で着実に芽吹き始めます。1940年代末には、ビ・バップ様式を受け継ぎつつもリズムやハーモニーをソフトにした、理知的な印象の「クールジャズ」が誕生しました。また1950年代には、ロサンゼルスを始めとした西海岸地区で、軽快なステップの「ウェストコースト・ジャズ」が登場。さらに、東海岸地区のジャズメンがそれに対抗して、感情の高まりを「ハード・バップ」で表現したりと、ジャズの世界は一気に揺れ動き出しました。この不安定さの中で、後にジャズが大きく進化するためのエネルギーが溜まっていきます。

ビ・バップの意志 -「ジャズ模索」の波が西海岸を席巻 -

ビ・バップは、多くの人々に受け入れられたとは言えませんでした。
しかし、ジャズを追求するその魂は、若者たちの間で着実に芽吹き始めます。1940年代末には、ビ・バップ様式を受け継ぎつつもリズムやハーモニーをソフトにした、理知的な印象の「クールジャズ」が誕生しました。
また1950年代には、ロサンゼルスを始めとした西海岸地区で、軽快なステップの「ウェストコースト・ジャズ」が登場。 さらに、東海岸地区のジャズメンがそれに対抗して、感情の高まりを「ハード・バップ」で表現したりと、ジャズの世界は一気に揺れ動き出しました。 この不安定さの中で、後にジャズが大きく進化するためのエネルギーが溜まっていきます。

マイルス・デイビス - 激動の時代を、自らを変化させながら生き抜いたクール・ジャズの父

マイルス・デイビス (1926〜1991)

激動の時代を、自らを変化させながら生き抜いたクール・ジャズの父

アルトン出身のトランペッター。裕福な家に生まれ、恵まれた環境でジャズを学ぶ。
18歳の頃、ビ・バップの鬼才チャーリー・パーカーと共演を果たしているが、自身は(ビ・バップの様式も受け継ぎつつ)「クールジャズ」という新たな領域を開拓した。
彼がその頭角を現したのはクールジャズの分野においてだが、その後はハード・バップやエレクトロニック・ジャズ、フュージョンなど、時代やトレンドに合わせてその姿を変え、常に「ジャズとはなにか」という模索をやめなかった。

ザ・ベスト・オブ・マイルス・デイビス

マイルス・デイビスの名曲・名盤たち

クールの誕生

クールの誕生

読んで字のごとく、クールジャズ誕生の象徴となるアルバムです。これを聴かずにクールは語れない!

カインド・オブ・ブルー

カインド・オブ・ブルー

知的でヒネリの聴いた1枚。ジョン・コルトレーンビル・エヴァンスなど、後のスターも登場しています!

1958マイルス

1958マイルス

スタジオの緊張感さえ感じられるほどの、緻密な演奏を楽しめます。収録曲も名盤ぞろいで初心者向け。

マイルス・アヘッド

マイルス・アヘッド

マイルスと、彼の良きパートナーであるギル・エヴァンスがタッグを組んだ、ジャズ史に残る名アルバムです。

サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム

サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム

「いつか、王子様が来るわ」。その曲名をそのまま体言したかのような、ロマンチックで美しいナンバー。

ビル・エヴァンス - クラシックの様式美をジャズへ持ち込んだ、優美なピアニスト

ビル・エヴァンス (1929〜1980)

クラシックの様式美をジャズへ持ち込んだ、優美なピアニスト

ニュージャージー出身。少年期はドビュッシーなどのクラシックを学んだ。
ピアノの印象的な和音を使いこなし、麗しく穏やかなジャズを展開する。
従来のジャズではピアノソロの間、リズムセクションは単調なリズムを刻み続けるのが主流であったが、エヴァンスはピアノ・ドラム・ベースが対等に主張し響かせあうスタイル「インタープレイ」を確立した。
マイルス・デイビスのバンドに短期間ではあるが在籍している。

ベスト・オブ・ビル・エヴァンス

ビル・エヴァンスの名曲・名盤たち

ワルツ・フォー・デビイ

ワルツ・フォー・デビイ

ビル・エヴァンスを代表する1枚。この時期特有の落ち着いた雰囲気のジャズを、存分に味わってください。

アローン

アローン

エヴァンスがソロプレイで、そのピアノの技術をいかんなく発揮している1枚。美しいハーモニーに酔いましょう。

インタープレイ

インタープレイ

彼のトレードマークとも言える「インタープレイ奏法」を、さまざまな楽器を通して演奏した名盤です。

アンダーカレント

アンダーカレント

ギタリスト、ジム・ホールとの共演アルバム。ピアノとギターが絶妙に主張しあう様子は、むしろ"競演"!

アフィニティ

アフィニティ

ハーモニカ奏者のT.シールマンスと共演し、やさしくロマンチックに演奏した1枚。ストレスなく聴けます。

ジョン・コルトレーン (1926〜1967)

ジョン・コルトレーン - 大器晩成のサックス奏者、モダン・ジャズのパイオニア

ヴェリー・ベスト・オブ・ジョン・コルトレーン

大器晩成のサックス奏者、モダン・ジャズのパイオニア

少年期はさまざまな楽器を経験するが、そのうちテナーサックスに腰を据えて活動を始める。
若き日にマイルス・デイビスのバンドで演奏経験を持つも、未熟さゆえに批評家の的にされる。しかしその後の努力によりハード・バップ界のカリスマとなった。

ソニー・ロリンズ (1930〜)

ソニー・ロリンズ - テナーサックスで「歌う」ハード・バップの申し子

ベスト・オブ・ソニー・ロリンズ

テナーサックスで「歌う」ハード・バップの申し子

ニューヨーク出身のテナーサックス名手。かのマイルス・デイビスに「今までで最高のテナー」と言わしめる。
歌うように情緒的なテナーは多くのファン、そして若手ジャズメンたちを惹きつけたが、自身は自分探しや音楽研究のために数年単位で休業したりと、気ままな様子。

1965〜 多様性の開花 - ジャズはもう止まらない -

ジャンルを超える、時代を超える、国境を超える - ジャズが試行錯誤を重ねている間、他の音楽ジャンルもまた成長していました。1960年代の後半に入ると、ある波が音楽の世界に押し寄せます。ポップスやロックの台頭、そしてエレクトロニック音楽の登場です。もともと「模索」の時期にあったジャズは、これらの新しい要素を柔軟に吸収していきました。ジャズは、その道を貫くことではなく、周りの音楽と自在に「フュージョン(融合)」することで、それを自らの個性にしたのです。音楽の多様化とともに、ジャズの新しい時代も幕開けしました。

ジャンルを超える、時代を超える、国境を超える

ジャズが試行錯誤を重ねている間、他の音楽ジャンルもまた成長していました。 1960年代の後半に入ると、ある波が音楽の世界に押し寄せます。 ポップスやロックの台頭、そしてエレクトロニック音楽の登場です。
もともと「模索」の時期にあったジャズは、これらの新しい要素を柔軟に吸収していきました。ジャズは、その道を貫くことではなく、周りの音楽と自在に「フュージョン(融合)」することで、それを自らの個性にしたのです。
音楽の多様化とともに、ジャズの新しい時代も幕開けしました。

進化し続けるジャズ - ジャズの魅力、味わっていただけましたでしょうか。もちろん、ジャズの歴史はこれでは終わりません。ニューオリンズの端で出会ったさまざまなルーツ音楽がぶつかりあい、響きあい、やがて「ジャズ」というジャンルを形成した経緯から分かるように、ジャズは「生まれながらにしてフュージョン・ミュージック」でした。異なる音楽文化を取り込んで生まれたジャズには、新たなものを受け入れる懐の広さがあります。現在もなお、幅広いジャンルとの「フュージョン」を繰り広げるジャズの世界に、あなたも浸ってみませんか?

進化し続けるジャズ

ジャズの魅力、味わっていただけましたでしょうか。
もちろん、ジャズの歴史はこれでは終わりません。 ニューオリンズの端で出会ったさまざまなルーツ音楽がぶつかりあい、響きあい、やがて「ジャズ」というジャンルを形成した経緯から分かるように、 ジャズは「生まれながらにしてフュージョン・ミュージック」でした。
異なる音楽文化を取り込んで生まれたジャズには、新たなものを受け入れる懐の広さがあります。 現在もなお、幅広いジャンルとの「フュージョン」を繰り広げているのです。

これからジャズを聴くあなたへ -ジャズの入り口の見つけ方-

「名盤」を聴いてみよう

この記事で紹介しているのは、いずれもジャズの歴史を形作ってきた偉人ばかりです。
彼らの曲は多くの人々によって受け入れられ、現在のジャズメンたちもこぞって演奏するテーマとなっています。
それら「名盤」は、あなたをジャズの入り口へいざなう案内者となってくれるでしょう。
はじめは当てずっぽうでもいいのです。興味を持ったCDを取り寄せ、手に取り、聴いてみてください。

「同じレーベルの違う曲」も聴いてみよう

好きな曲を見つけたら、「その人の別の曲も聴いてみたい」と思うのは自然ですよね。
でも、もう少し世界を広げてみたいと思ったら、「その曲を出したレーベルの、違う人の曲」も聴いてみましょう。
レーベルとはレコード会社のこと。ジャズの世界では、音楽にレーベルごとの特長が色濃く出ます。極端なことを言えば、たとえ同じ作曲者が出した曲であっても、レーベルが違えばテイストが異なることもあるのです。
あなたが一曲でもお気に入りの曲を見つけたのなら、そのレーベルの中にさらなるお宝が眠っているはずです。
レーベルは大体CDケースの裏側に書いてありますし、ピンと来なかったら、インターネットで調べてみてもいいですね。

「ライナーノーツ」を読んでみよう

「ライナーノーツ」とは、国内盤のCDに時折入っている、作曲者へのインタビューなどをつづった解説書のことです。
あなたは目を通したことがありますか? 折りたたんだままずっと入れっぱなしにしていたり、捨ててしまったりしていませんか?
もしそうでしたら、あなたはとっても損をしています。ライナーノーツは宝の地図ですよ!
ライナーノーツを読んでいると、そこに出てくる単語の多さに驚くはずです。そこには、作曲者が影響を受けた先人アーティストであったり、作曲者に影響を受けた若いアーティストであったり、演奏スタイルの名称であったりと、リスナーへ向けたさまざまな情報が詰まっています。
ここから、あなたはさらにジャズの世界を旅することができるのです。

あとは、気の向くままに

上に書いた3つを繰り返し実践するようになれば、あなたはもう立派なジャズリスナーです。
耳も肥え、新たな音楽を探し出すアンテナも鋭敏になっているはず。

あとはもう、お気に召すまま。あなたのスタイルでジャズを楽しんでください。
ひとりのアーティスト、ひとつのレーベルについて深く掘り下げてみるもよし。同じ時代で守備範囲を広げるもよし。
若く新しいジャズメンも発掘してみたいなら、ジャズ系の音楽雑誌を手にとってみるのもよいでしょう。
数か月前にはちんぷんかんぷんだった専門用語だらけの文章も、驚くほどおもしろくなっているはずですよ。

さあ、愛すべきジャズ人生を!