昭和34年4月の第一回電話級アマチュア無線技士試験に学友数名と電話級を受験しましたが高校の無線部副部長なのに私だけ不合格。 半年後の第二回は電信級、電話級共受験して合格しました。写真は自宅で真空管の送信機を作っている所です。受信機は当時の標準構成 高1中2。トリオのFT11を6個使った集中型IFTでした。国際電気のメカフィルも発売されていたけど高嶺の花でした。JA6BJW、JA6BOS局の消息を探してます。(2006-10-23)
2009-11-08 JA6BJWよりメールが届きました。 感謝!