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「外務省 外交史料館」の検索結果

「外務省 外交史料館」に関連する情報 32件中 1〜10件目

外務省外交史料館

アメリカ国立公文書館で日本の天皇がアメリカ大統領に宛てた手紙が見つかった。大正天皇による親書の現物には明治天皇の崩御とともに自らが天皇の位を受け継いだことが記され、英語に翻訳された文書も同封されていた。大正天皇の崩御を伝える親書も見つかり、昭和天皇の署名も記されている。東京都内にある外交史料館にはその親書に関する記録に加え、アメリカ大統領からの返信も残されていた。明治天皇崩御についてまとめたファイルには日本が崩御を伝えた国の一覧が記されている。アメリカのタフト大統領から大正天皇に宛てた返信にはお悔やみの言葉が綴られている。大正天皇崩御に関するファイルには親書の原案が残されていた。代替わりをめぐる歴史的史料は歴代天皇と大統領の親書だけではない。水面下でアメリカ側は天皇の健康状態について詳細な情報を入手していて、東京のアメリカ大使館から国務長官への電報も見つかっている。1933年に明仁親王が誕生した日には、アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領から祝電が贈られている。昭和史を研究する保阪正康氏は「アメリカの大統領に対する天皇側の思いは相当親密、親密であるがゆえにプライベートなどんなことでも伝えている」と述べた。1941年には太平洋戦争が始まり、保阪氏は「アメリカと友好の関係の歴史を持っている皇室と仮想敵国としてアメリカと敵対する道を歩んだ海軍、それをサポートする陸軍ということで、軍と皇室の間に亀裂が生じた」と語った。


外務省 外交史料館

北方領土は日本固有の領土であり排他的経済水域にも含まれるが、帰属を巡って争いが続いているため自由に漁が出来ない状況となっている。北海道庁は中間ラインを設け、許可を受けた船以外は操業しないよう呼びかけている。北方領土が返還されれば水揚げ量も大幅に変わり、漁業関係者の収入も増えると見られる。漁業関係者の声は50年以上前から聞かれていた。1960年に当時の総理が米大統領に対しソ連との北方領土交渉を報告した文書では、当時漁業関係者からの2島で早期解決の要望があったと記されている。


外務省外交史料館

終戦前後に出された公文書の焼却命令を免れた貴重な資料が残っている。元駐米大使の武内龍次氏は昭和17年から約2年間、ソビエトの日本大使館で一等書記官を務めた。終戦直前の1年間に日本の外務大臣とソビエトの日本大使館との間で交わされた外交公電が残っている。公電には外務省が行った和平工作が記されていて、元外交官の東郷和彦も知らない情報だった。戦況が悪化していた当時、米英との戦争に集中するためソ連を仲介役に中国との戦争を終結しようとする提案がソ連からあったが日本は断っている。その後日本の孤立化の可能性が浮上し、佐藤元駐ソ大使は事態を食い止めようと動いていた。その後はヤルタ会談でソ連の対日が密約され、2ヶ月後にはソ連が日ソ中立条約の破棄を通告した。新しく外相に就いた東郷茂徳はソ連との関係改善に尽くすよう求めたが、昭和20年8月8日にソ連は日本に宣戦布告し満州などに侵攻した。公電からは緊迫する戦時外交の裏側を知ることが出来る。


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「外務省 外交史料館」に関連するイベント情報

明治150年記念展示 国書・親書に見る明治の日本外交

「外務省外交史料館」は東京メトロ南北線・六本木一丁目駅から徒歩8分。現在は「国書・親書に見る明治の日本外交」が開催中。日米修好通商条約の複製や、明治元年にナポレオン3世から明治天皇あてに送られた国書、日清講和条約調印書の複製、第二次世界大戦後のミズーリ号で調印された降伏文書の複製などが展示されている。


南北線

「外務省外交史料館」は東京メトロ南北線・六本木一丁目駅から徒歩8分。現在は「国書・親書に見る明治の日本外交」が開催中。日米修好通商条約の複製や、明治元年にナポレオン3世から明治天皇あてに送られた国書、日清講和条約調印書の複製、第二次世界大戦後のミズーリ号で調印された降伏文書の複製などが展示されている。


六本木一丁目駅

「外務省外交史料館」は東京メトロ南北線・六本木一丁目駅から徒歩8分。現在は「国書・親書に見る明治の日本外交」が開催中。日米修好通商条約の複製や、明治元年にナポレオン3世から明治天皇あてに送られた国書、日清講和条約調印書の複製、第二次世界大戦後のミズーリ号で調印された降伏文書の複製などが展示されている。


外務省外交史料館

「外務省外交史料館」は東京メトロ南北線・六本木一丁目駅から徒歩8分。現在は「国書・親書に見る明治の日本外交」が開催中。日米修好通商条約の複製や、明治元年にナポレオン3世から明治天皇あてに送られた国書、日清講和条約調印書の複製、第二次世界大戦後のミズーリ号で調印された降伏文書の複製などが展示されている。


外交史料館

1986年、チャールズ皇太子・ダイアナ元妃が来日し、日本中ダイアナ・フィーバー。31年が経ち、外務省は当時の外交文書の一部を公開。日本政府撮影の未公開写真とともに、来日前の心境を表すダイアナ妃んお発言も記されていた。小錦を間近に見て体の大きさに驚き、何度もおなかをつついたそう。ほかにも、箸の使い方では京都の料亭では、見よう見まねで会席料理を召し上がったという。1986年のチェルノブイリ後の文書が公開。日本は原発事故8日後の東京サミットの議長国を務め、共同声明をまとめていた。事故につき「懸念する」を「討議した」に変更したり、放射能という文言を削除していたことがわかった。日本政府が原発推進の流れが損なわれることを、懸念した様子も。増田ユリヤは「忖度してそういう記述になったのでは」などと話した。


外務省HP

イギリスのダイアナ元妃の写真が昨日外務省の外交文書として初めて公開された。外交文書は30年経つとその一部を公開しており、今回公開された写真には、チャールズ皇太子とともに初来日したダイアナ元妃は、京都で、水玉の洋服の上から着物を羽織る姿などが写っていた。さらに相撲を観戦したのはダイアナ元妃の意向だったこともわかった。これらの文書は外務省のHPや外交史料館で見ることができる。


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