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「曽野綾子」の検索結果

「曽野綾子」に関連する情報 111件中 1〜10件目

「曽野綾子」に関連する本・コミック・雑誌

第2位「死という最後の未来」。石原慎太郎と曽野綾子の対談集。

「死という最後の未来」

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いま注目されている書籍が「死という最後の未来」というもの。作家の曽野綾子さんと石原慎太郎さんによる死生観についての会談本。先月23日に販売され、現在の発行部数は10万部というベストセラーになっている。石原慎太郎さん(87/)は1956年当時23歳で第34回芥川賞を受賞した。そして1968年35歳のときに政界入りする。参議院選挙で初めて当選した。99年、66歳のときに東京都知事選挙で初めて当選して、その後4期14年務めた。曽野綾子さんは現在88歳。これまでの著書は400作以上でベストセラーも多数ある。95年、64歳の時には日本財団の会長に就任して、およそ10年務めた。2003年、72歳のときには文化功労者に選出されている。作家・曽野綾子さんの自宅を案内してもらうと、意外なところに今回の対談相手、石原慎太郎さんとの共通点があった。曽野さんと石原さんは手書きが主流だった時代にいち早くワープロでの執筆を取り入れたという。古くから親交があった2人がおよそ30年ぶりに再開を果たし、90歳を目前に人生の終わりについて深く語り合った。同じ時代を生きた二人の作家だが、その死生観は対照的なものだった。長年、文壇の最前線を走り続けてきた曽野さんは2003年に文化功労者に選ばれた。死を恐れず受け入れる死生観にはある鮮烈な出来事が影響しているという。戦時下の1945年3月10日、アメリカ軍による大規模な爆撃で10万人もの人が死んだ東京大空襲だ。本には、「東京大空襲の光景はみました。あの様子を見て、人間がこの世で手に入れたものは、すべて一夜にして失うこともある。そんな運命を背負っていると考えるようになりました。」と綴られている。また、戦時下で近所の青年たちが次々と戦地へ赴き戻ってこなかった現実も見てきたという。曽野さんは、「立派な人が死んでしまった。私は当時13歳ですから、彼らのことを正当に評価していると思えないが、今思ってもいい青年だった。本当に馬鹿なことですね。」と話した。そんな曽野さんは作家として駆け出しの22歳のときに人生を大きく変える転機を迎えている。それは作家でありながら後に文化庁の長官も務めた三浦朱門さんとの結婚だった。60年以上連れ添うことになる。2人は共同で著書を発表するなど苦楽をともにしてきたが、2015年そんな夫の体を病魔が襲った。体の自由がきかず、何度も転倒するなど様々な機能障害に苦しめられた。曽野さんは、「もっと生きてると思った夫が2〜3年。広い部屋にベッドを置いて、そこで2〜3年家でいい加減に夫の面倒をみるつもりだった。何月何日死ぬと思ってないでしょ、何日残ってるかは誰も分からない。」と語った。2年に及んだ闘病生活の最後の1年は曽野さん自ら自宅で夫を介護したという。周囲に頼れることは頼り、自分も無理をしないようにしたことで自らの手で最後を看取ることが出来た。曽野さんは、「夫がなくなった時、葬儀屋が「何か入れるものありませんか?」と、新聞が好きな人でしたから、毎日よく読んでね、朝ひとしきり読んでました。その新聞に自分の「死んだ」っていう記事が載ってて、なんかおかしいねと言って笑っていた。死ぬことはわかってる。分かってない人ってないはずなんですね。ですから朗らかに、できるだけ明るく事務的に受け止めた。」と振り返った。そして夫の死後、遺品を整理していたときにへそくりが出てきて、それで猫をかったという。夫のへそくりでかった新しい家族と暮らす曽野さんは今年89歳を迎える。近年死をテーマにした作品を多く執筆している曽野さんは、「私が死について書いてるのが多いっていうのは、ご飯について書くのと同じ。誰もが必ずあるんですね。ご飯食べない人もいないでしょう、生きている以上。Life is mere journey 人生は単なる旅路にすぎない。だって全部残ってたらどうなります?この世で。消えるのは良いことですよ。」と語った。


「曽野綾子」に関連する本・コミック・雑誌

いま注目されている書籍が「死という最後の未来」というもの。作家の曽野綾子さんと石原慎太郎さんによる死生観についての会談本。先月23日に販売され、現在の発行部数は10万部というベストセラーになっている。石原慎太郎さん(87/)は1956年当時23歳で第34回芥川賞を受賞した。そして1968年35歳のときに政界入りする。参議院選挙で初めて当選した。99年、66歳のときに東京都知事選挙で初めて当選して、その後4期14年務めた。曽野綾子さんは現在88歳。これまでの著書は400作以上でベストセラーも多数ある。95年、64歳の時には日本財団の会長に就任して、およそ10年務めた。2003年、72歳のときには文化功労者に選出されている。作家・曽野綾子さんの自宅を案内してもらうと、意外なところに今回の対談相手、石原慎太郎さんとの共通点があった。曽野さんと石原さんは手書きが主流だった時代にいち早くワープロでの執筆を取り入れたという。古くから親交があった2人がおよそ30年ぶりに再開を果たし、90歳を目前に人生の終わりについて深く語り合った。同じ時代を生きた二人の作家だが、その死生観は対照的なものだった。長年、文壇の最前線を走り続けてきた曽野さんは2003年に文化功労者に選ばれた。死を恐れず受け入れる死生観にはある鮮烈な出来事が影響しているという。戦時下の1945年3月10日、アメリカ軍による大規模な爆撃で10万人もの人が死んだ東京大空襲だ。本には、「東京大空襲の光景はみました。あの様子を見て、人間がこの世で手に入れたものは、すべて一夜にして失うこともある。そんな運命を背負っていると考えるようになりました。」と綴られている。また、戦時下で近所の青年たちが次々と戦地へ赴き戻ってこなかった現実も見てきたという。曽野さんは、「立派な人が死んでしまった。私は当時13歳ですから、彼らのことを正当に評価していると思えないが、今思ってもいい青年だった。本当に馬鹿なことですね。」と話した。そんな曽野さんは作家として駆け出しの22歳のときに人生を大きく変える転機を迎えている。それは作家でありながら後に文化庁の長官も務めた三浦朱門さんとの結婚だった。60年以上連れ添うことになる。2人は共同で著書を発表するなど苦楽をともにしてきたが、2015年そんな夫の体を病魔が襲った。体の自由がきかず、何度も転倒するなど様々な機能障害に苦しめられた。曽野さんは、「もっと生きてると思った夫が2〜3年。広い部屋にベッドを置いて、そこで2〜3年家でいい加減に夫の面倒をみるつもりだった。何月何日死ぬと思ってないでしょ、何日残ってるかは誰も分からない。」と語った。2年に及んだ闘病生活の最後の1年は曽野さん自ら自宅で夫を介護したという。周囲に頼れることは頼り、自分も無理をしないようにしたことで自らの手で最後を看取ることが出来た。曽野さんは、「夫がなくなった時、葬儀屋が「何か入れるものありませんか?」と、新聞が好きな人でしたから、毎日よく読んでね、朝ひとしきり読んでました。その新聞に自分の「死んだ」っていう記事が載ってて、なんかおかしいねと言って笑っていた。死ぬことはわかってる。分かってない人ってないはずなんですね。ですから朗らかに、できるだけ明るく事務的に受け止めた。」と振り返った。そして夫の死後、遺品を整理していたときにへそくりが出てきて、それで猫をかったという。夫のへそくりでかった新しい家族と暮らす曽野さんは今年89歳を迎える。近年死をテーマにした作品を多く執筆している曽野さんは、「私が死について書いてるのが多いっていうのは、ご飯について書くのと同じ。誰もが必ずあるんですね。ご飯食べない人もいないでしょう、生きている以上。Life is mere journey 人生は単なる旅路にすぎない。だって全部残ってたらどうなります?この世で。消えるのは良いことですよ。」と語った。

「死という最後の未来」

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「曽野綾子」に関連する本・コミック・雑誌

現在、日本は4人に1人が65歳以上と言われる超高齢化社会で、コロナ禍で更に死を身近に感じられるようになっている。そんな中、芥川賞作家で都知事や国会議員としても手腕を振るった石原慎太郎さん(87)と、数々のベストセラーを夜に送り出した作家の曽野綾子さん(88)は、「死という最後の未来」というタイトルの対談本を出版した。先月23日に発売されると、発行部数は1週間で10万部を突破した。曽野さんは、3年前に亡くした最愛の夫である三浦朱門さんの死などについても語っている。

「死という最後の未来」

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脳溢血

今月23日に発売された「死という最後の未来」について。石原慎太郎と曽野綾子の同世代の作家による対談で、死生観について対象的な意見を持つ2人が意見を交わす。石原にとって死というものを意識するようになったきっかけは太平洋戦争だという。また、父親の急死がさらに死を意識させたという。大学在学中に芥川賞を受賞し、作家の道を歩む中で自分自身の死と直面することになる。30代半ば、取材でベトナム戦争で死地をさまよい、帰国後突然の病に倒れた。


「曽野綾子」に関連するイベント情報

芥川賞

今月23日に発売された「死という最後の未来」について。石原慎太郎と曽野綾子の同世代の作家による対談で、死生観について対象的な意見を持つ2人が意見を交わす。石原にとって死というものを意識するようになったきっかけは太平洋戦争だという。また、父親の急死がさらに死を意識させたという。大学在学中に芥川賞を受賞し、作家の道を歩む中で自分自身の死と直面することになる。30代半ば、取材でベトナム戦争で死地をさまよい、帰国後突然の病に倒れた。


「曽野綾子」に関連する本・コミック・雑誌

今月23日に発売された「死という最後の未来」について。石原慎太郎と曽野綾子の同世代の作家による対談で、死生観について対象的な意見を持つ2人が意見を交わす。石原にとって死というものを意識するようになったきっかけは太平洋戦争だという。また、父親の急死がさらに死を意識させたという。大学在学中に芥川賞を受賞し、作家の道を歩む中で自分自身の死と直面することになる。30代半ば、取材でベトナム戦争で死地をさまよい、帰国後突然の病に倒れた。

今月23日に発売された「死という最後の未来」について。ベトナムで肝炎に感染し、帰国後に発症したという。約1ヶ月の入院中、死を自分自身のこととして考えたという。35歳で参議院選挙に出馬し、トップ当選し作家から政治の世界へ進んだ。一方、2歳年下の弟の裕次郎から手術中に起きた不思議な出来事について聞いたという。

「死という最後の未来」

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MARUZEN&ジュンク堂書店 渋谷店

美智子さまの聖心女子大学の先輩である作家・曽野綾子さんは3年前、美智子さまがお忍びで書店を訪れる手伝いをした。開店と同時に書店に入り、約1時間好きな本を選んでいた。これからは探偵小説やジーヴスも読みたいと美智子さまは話していた。皇后という立場は決して易しいことではなかったとも語っている。


聖心女子大学

美智子さまの聖心女子大学の先輩である作家・曽野綾子さんは3年前、美智子さまがお忍びで書店を訪れる手伝いをした。開店と同時に書店に入り、約1時間好きな本を選んでいた。これからは探偵小説やジーヴスも読みたいと美智子さまは話していた。皇后という立場は決して易しいことではなかったとも語っている。


「曽野綾子」に関連する本・コミック・雑誌

曽野綾子は去年2月夫・三浦朱門を亡くし、その後夫の後始末という本を書いた。

三浦朱門が転倒して顔が真っ青になり女房に殴られたというとみんなが喜ぶ。三浦朱門が病院に入院した時看護師さんにあと20〜30分で喋れなくなるので今のうち喋っておいてくださいと言われびっくりしたが、結局何も喋ることがなかった。曽野綾子は22歳で結婚し、夫と夫の両親と一緒に暮らすことができてよかった。衰えていくなら衰えていくのが人間の一生で、プレゼントされると思えるようになった。もし、元気の時に死んだらチャンスを頂けなかったと思えるようになった。

「夫の後始末」

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