戦争中は艦載機の機関砲に追いかけられつつ空襲の街で生き残った子供たちの中のひとり。絵の勉強は12さいころから本格的に習い始めた。カメラも同じ頃からだった。絵描きからデザイナーへ、そして映画の美術監督になっていた。ガメラや仮面ライダーの造形にも携わる。プロデューサーとして現在に至る。絵とロケハン資料のために撮り始めた写真ゆえ忠実な記録とスナップである。画像の後処理はフォトジャーナリストとしての立ち位置ゆえ明度を元に戻すぐらいしかやらない。写真作品は創らない。自然の生命力あふれるモノをスナップしたい、描写記録したいという想いがひかれてシャッターを切っている。自己の絵日記でもあると思う。